ことの真相 <後編>

みなさんこんにちは。
昨日に引き続き、スーパーショックの真相について、
後半でございます。

なげーよ、とお思いかもしれませんが、
私も思ってるんでホントすんません笑

この後に続いていく道への導入部分でもありますので
ぼんやり暇つぶしにでも読んでいただけたらうれしいです。

ではどうぞ。

 . ひと繋がりの軌跡

毎年年末の12/26~31、クリスマスケーキが終わると
新年を迎える準備の中で
縁起物としての結び屋虹園を
地元鎌倉の大船ルミネさんで催事をさせていただいています。
その年が締めくくられていく様子を体感しながら、
また邂逅しながら一年を終えていくのが私の恒例行事となっています。

一昨年の年末から昨年の2021になるときに、いちばん感じたのが
もっと自由に、
さらにステップアップして、
アートとしての水引のむすびを表現したい、という想いでした。

そうした想いで、
工数度外視デザインや意味からカタチを導くために研究にもより没頭し、
水引のむすびの作品としての在り方をより重視することに注力して
より凝った作品に挑戦したり、
出展先を変えていったり、
『ハレとケ』という概念で作品を展開したり、
とにかく結んで産すんでむすびまくって、
全力の向こう側まで
自分の中での想いに沿ってチャレンジで爆走した一年でした。

その経験をまたひとつのステップとして、
昨年末から今年2022になるときに心に想ったチャレンジが
「水引」を超えていく というものでした。

水引のむすびによる作品をむすぶことにより日々
ミラクルが起きまくって、
有り難いことにホントに素晴らしいご縁に恵まれて、
周りにすてきな仲間が増えてきて、
コラボの作品なんかを創らせていただけるようになって
さまざまな素材やさまざまな技法にも出逢いました。

和紙の紙縒りである水引に保護と装飾の立ち位置としての漆との出逢い、
むすびのそれぞれに意味があるように、石のそれぞれにも意味があるという部分での天然石との親和性、
広がっていく横のつながりの中で
水引そのものと、むすびそのものが
同化しているかのような親和性を持ちながら、
独立したものに見える瞬間がチラチラと訪れていました。

そうした中で
『水引』そのものを、いま一度改めて、とうとう正面から対峙しようと思いました。
それは少し…なんとなくですが、勇気のいることでした。

その、素材そのものにも魅了されて
来る日も来る日も むす んできたけれど、
それこそ、本当に、
いいところも、わるいところも、明らかなことも曖昧なことも
1回膝附合わせて話そうか、って感じで
別れ話の前に洗いざらい話し合うカップルのような時間だったと思います。(笑)

そういったこともあって、
1月の催事の後、改めて
『水引の起源について』を紐解こう、とあれこれ文献を漁っていました。

今までだって、何度も尋ねられてきたし、
それまで知り得たことでお答えしてきましたが、
実は
ずっとしっくりいかなかないポイントが存在していました。

 . タイミング


考察をしてきたところをなぞりながら、
本当にタイミングってすごいな、と思うけれど、
ここ最近で見聞きしたことが、
それこそ全く違うジャンルのことや、
全然別の局面で聞いたことなんかが
正直気持ち悪いくらいのシンクロニシティを次々と多発させて
まるで道標のように私を導いて
これまで辿り着けなかった扉の前に立っていました。

あまりにもすっきりと筋の明らかな部分で
納得のいくものでした。
いままでずっと怪しんでいた例のしっくりいってなかったポイントを起点にしながら
丁寧に、まるで導かれていくようにするすると繙かれて
思っていたよりもずっと深かったけど、
なるほど、と思える結論を得ることができたのです。

それなのに。

 . 正体不明の虚無感

それなのに正体不明の虚無感が私を襲います。

知ってしまったから、という
手にしてしまったことによる充足の向こう側にある虚無感ではありませんでした。
まだその虚無感の正体はわかりません。

ひとつ言えるとするならば、
『水引の起源』そのものはすっきり紐解くことができました

肝心の…

肝心のアレはまた
指の隙間からすり抜けていきました。

でも、だからこそそこに
新しい扉を見つけたような感覚になりました。
扉の前にまたひとつ
ヒントを置いて
笑顔で走って消えていったような感じで…。

廃人化した私を過ごしている間のことはあまり記憶にないので
どうやって探し当てたかわからないのですが、
現存する資料が物理的には国立国会図書館に保存されているため
現在電子図書の形でなら手に入れることができる
古文書を見つけました。

水引のことが付録で書いてあるような
資料でした。
本編ではないのです。

旧仮名遣いで書かれて
文字同士が滲んでいたりして、
とにかく読みにくい本でした。
ただ、ゆっくり落ち着いて読むと、
かなり易しい言葉で書かれていました。

本の後ろの方に十数ページ、
付録の部分が差し込まれていました。
付録にしては随分と丁寧に図解もたくさん載っていました。

そこに、衝撃が走りました。
今までもずっと何度も目にしてきたし、
すでに知っていたことだったので、そんなはずは…と思い、
もういちど冒頭からじっくり読み直したその瞬間。

… …!!!!!!

おちつけ。
おちつけ私。
今まで何度も見てきた言葉なのに、、?!!

今まで見えなかったものが
まざまざと、ありありと目の前に見えてきました。
そして

!!!やっぱりそうだったんだ!!!!! と
夜中のアトリエでひとりうっかり漏れたでっかい声で歓喜したのです。

 . 水引を超えていく

昨年、
アートとしての水引のむすびをやりたい、と想ったことで
たくさんの素晴らしい出逢いがたくさんありました。
そこで
それまでは扱ったことのないような素材にも
たくさん出逢いました。

そのおかげで
今まで自分が扱ってきた素材を
別の角度から見ることができたんじゃないかと思っています。

そうした中で、
これまでは見えなかったものが
みえた。

6年前、ひょんなことから可愛い紙が私を水引に引き合せました。

そして

水引によってむすびに出逢いました。

素材そのものについて言うなら、
和紙の紙縒り だし、
紙だから金属のような耐性はない。
細工はとても繊細だけど、何年も使えるような持久力もないし、
金封はどんどんインスタントに。

だけど。

その扱いにくさこそが私にとって魅力でした。
かみ だったからこそ惹かれ
なぜだか水引という素材がいちばんしっくりいって、猛烈に追いかけましたし、
今後も追いかけ続けるでしょう。
水引が連れて来てくれた世界。

私には、そこになにかが秘められているように感じられました。
むすびの世界は
想像以上に奥深く覗き込むには深すぎて
どっぷりとつかり込んでは手探りでその「なにか」を探し続けています。

そのむすびに秘められたなにかをまた追いかけ続けるために、
水引を超えていこうと思います。
それはきっと
水引サイドからの視点だけではもう
見えない部分があることに気が付いてしまったからです。

私の作品は
この研究と循環していて
研究結果を可視化するために象ったものが私のむすびの作品たちです。

水引の枠を超えて、
むすびの探究を続けていきます。
だけど、水引の部分では
なにかひとつ、小さな序章が結びを迎えたような感覚がしています。

だから。自信を持ってお話しできると思うんです。
鎌倉で教室をはじめます。
水引のむすびについて
私が知り得たことをお伝えし、実際に手を動かして体感できるような
お教室を。
基本は私のアトリエで。
その他のところでもどうやったらできるか考え中です。

ずっとはじめるはじめる詐欺でした。
でもそれは、なんだかしっくりこなくて、タイミングじゃないのかな、と思っていました。
でもいまなら
納得のいくお話ができるから。

今そのために、
なにからお伝えしていこうか とか 
どんなことばを紡いで創るか とかをじっくり精査しながら
私が水引によって識ったむすびの世界を表現するオリジナルテキストを創っています。

どうか楽しみにしていてください。
また進捗はホームページでお知らせします^^

長くなりましたが
ここまでお読みくださった皆様
ありがとうございます!
ただのワークショップやお教室にしたくなくて、
私の悶絶を踏まえてお知らせしたくてこんなんなりました!

ありがとうございます!
ひきつづき、どうぞよしなに♡

余談

ネアカのせいで、元々浮力が強いため笑
何度もすーぐ立ち直りそうになっていました。
でも、こーゆーときはしっかり落ち込むと
ばねみたいになってめっちゃ浮上するんじゃないか、って
踏ん張って落ち込みました(笑)
本来せっかちでめんどくさがりなので、落ち込むことすらめんどくさいのですが
私のチャレンジだったと思います。
メンタルの方はすぐにでも立ち直りそうだったけれど
正直体が鉛みたいに重くてとにかく眠くて
カラダの方が『頼むからもうちょっと落ち込んどいてくれー』っていう
サインを出していたように思います(笑)
ホント心と体は一体何ですね!(いまさら!!笑)
心配して声をかけてくださった皆さん、
本当にありがとうございました!感謝しています♡

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