ことの真相 <前編>

みなさん、こんにちは。

いつもインスタをご覧くださっているみなさまには
先日のスーパーショック投稿で
方々からあたたかな言葉を掛けていただきました。

心を向けてくださり、
ありがとうございます。

色々と落ち着いたので
そのショックと併せて、虹園の活動の根本について
お話したいと思います。

 . 結び屋虹園と私

私の、「結び屋虹園」の活動って
私自身のそのもので出来上がっていて
私の魂が振るえることを礎にして
そこにただただ真摯に向き合って
研究したり形にしたりしていることなので
いわば丸裸の私自身なのです。
だからこそ、
虹園ならこうあるべきと言ったようなつくられたイメージではなく、
結び屋虹園という活動を通して可視化している私自身のそのまんまであるため
ポジティブな時もあればネガティブな時もある、っちゅーことで
ありのままの姿で在りたいと思うがゆえに
SNSでも、そのまんま全部を表現しています。

 . 結び屋虹園としてのかかわり方

閃きと思考と肉体が直結しているため、
所謂本音と建て前、みたいのができません。
だから思ったことが全部顔やら言葉に出てしまいます。
でも例えば、
そこで関わってくださる方からの言葉などで
考えや気持ちが変わるのであれば
ああそうか、なるほど!、とすぐ採用するので
さっきと180°違った気持ちになっていることもあります。
一度出てきた気持ちを切り取ってそこだけで留まるということはなく
その時はその時、という感じで
諸行無常的に
今 を生きています。
みんなそうでしょ。
だから、いまはそういう気持ちだ、そういう状態だ、
という意味で
あえて元気も気取らないし、
ダメな時はダメなことを表現しています。

 . ではなぜ落ち込んだのか。

今回、私が落ち込んだ、というのは
『水引の起源』による研究の中で起きたことでした。

私が水引に出逢って
作品をつくり始めたのと同時に
『水引のむすび』について研究し続けている、ということは
虹園を御存知の方はもう旧知の事実であることでしょう。

これまでの研究調査に引き続き、今回知り得たことは
歴史的なこともあったし、
ある程度は考察の中で予想もついていたことでもあったけれど、
やっぱりそうだったんだ…と
方々に散らばっていた事実の欠片を拾い集めて広げたら
ひとつのカタチが見えたというところでした。

また、これが事実なので今後変化することでもないため、
私は受け入れるしかない。

別に、過剰な何かを期待していた訳でもないけれど、
なにかそこに正体不明の虚無感を感じました。

これまで「水引のむすび」についてずっとずっとずっと…
それはもう傍から見たらまるでとりつかれているかの如くに
研究を続けてきて、
だからこそ
その歴史と謎が紐解けたとき
欲しかったものが手に入ったはずなのに、
ショック、というか
心にぽっかり穴が開いたような
なんとも言えない虚無感に襲われてしまったことが
どうしてなのか
私が私を理解できなくて戸惑ったのです。

 . やさしいみなさん

そういうことで
脳内はフリーズして、なにも手につかなくなりました。
不自然な投稿もできないし、
いま 私はこうだという軌跡を残しておくためにも
Instagramに書きました。

お電話くださって安否確認してくださったり、
人間関係とか、なんかあったの??とか
あまりにも辛そうで、とか
月並みなことしか言えないけど、なんてメッセージをくださったり
虹園を想って心を向けてくださった方が
たくさんいてくださって
純粋に、有り難いなぁって思いました。
皆さん、ありがとうございます。

こういった活動だって、
関わってくださる皆さんがいてくださってこそであって、むしろ
私の考察を聞いてくれたり、
作品を気に入ってくださったりしてくださる皆さんがいてくださって
成り立っています。
またそういう皆さんによろこんでもらいたくて、
ビックリしてもらいたくて、
私が知り得たことで
寄り添ったり、元気を分け合えたりできたらいいな、という
そういう気持ちが原動力になって
虹園が循環しているので
皆さんの存在抜きには虹園はいまここに存在していません。
だから、たとえそれがネガティブが引き起こしたことだったとしても、
人と人とが関わり「合う」という行き交う相互をうれしく感じていました。

心配してかけてくださる「言葉」というのもまた
本当にひとつひとつ個性が出るなぁと
戴いた言葉をかみしめて
ひとつひとつ並べて眺めてみたりしていました。

 . そうして気が付いたこと

まずひとつには、
私自身、気質として自分が想像していた以上にネアカなんだということ。

根っからのポジ体質×せっかちというお急ぎコースの魂なので
無意識に気丈に振舞ってしまっていることがあるな、
という自己分析があったため
あえて、しっかりと落ち込んでみた部分があります。

みなさんも、やってみてください。
心配かけちゃいけない、とか
迷惑をかけないようにしなければ、とか
心の優しい人ほど、思うかもしれません。

でもね、大丈夫。
そんなことでうザがられたり、嫌われたりするような人間関係なら
そんなもん要らないでしょ。
私の周りのだいすきな皆さんは受け止めてくれるって信じてるし、
私だってそのだいすきな皆さんに何かあったら受け止めるもん。

ふたつめに
ネガティブ要素って
自分や相手をより深く知ることができるチャンスだと思ったことです。
私はこういうことが辛いんだ、とか
こういうことを心配しちゃうんだ、とか
ネガティブからは目を背けたくなりがちですが、
すべてのことはふたつでひとつ、
陰陽でバランスをとることです。
そもそもポジティブとネガティブに善し悪しもないので、
単純に私がせっかち魂のせいで落ち込むのがめんどくさいために
ネガティブから目を背けたくなるんじゃないかと思っています。
優劣も善し悪しも本来は存在しているだけで
赤と青みたいなもんです。
赤だから優れている、ってこともないのと同じことです。
だからどっちも持ち併せることでバランスが取れます。

だから有り難く、お心配りからあたたかな おんど を感じて
私の心の栄養にさせていただきつつ、
それでも
何も手につかないから、
ホントに毎日、布団の中にくるまって、本を読んで寝落ちして
また起きて、読んで、えーん、ってなってまた寝て、と
心行くまで いま 感じる感情を感じつくして、漫画みたいな廃人のヒロインをやりつくしてやりました。

布団から出もせずに、日がな一日ゴロゴロと、
最近趣味の『塩』についてぼんやり調べたり、
ひょんなことから知ってしまって今更ドはまりした世界的アーティストの動画で癒されてみたり。

よく考えてみると、
昨年、年が明けて掲げた自分のチャレンジを実現するために
昨年春ぐらいからまともに休んでなかったので
ホントに何日も水引を触らない、むすばない日を過ごしました。

ことの真相②につづく。

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